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ぽぜおくんの憑依日記

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影2

彼らはただずっと、文字通りに岩陰の下でひっそりと佇む非力な存在であり続けていた。
もっと良い住み処があるぞ、と耳打ちしてきた主は既にこの世にいない。だが、彼らが故郷の岩陰に戻ることは決して無かった。新しい住み処は確かに良く動き、柔らかく、何よりも美味だった。岩などよりも余程甘美なその味を忘れることが出来なかったのだ。
愚鈍な他の種族達に手を貸す義理も無くなった今、残された彼らの目的はより良い住み処を漁ることと、道中楽しむこと。それだけだった。

* * *

ミナは両親の名前どころか、どちらが人間でどちらが獣人であるのかすらも知らなかった。いずれにしても、自分が敬慕するべき相手はヘレナ院長ただ一人であると、そう考えていた。自らの境遇を別段呪うことはしなかった。勿論、半獣であることを理由に被った苦労が無かったと言えば嘘になる。それでも、今こうして円満な生活を送ることが出来ているのだから、これ以上何かを望めば罰が当たるというものだ。

「ミナ姉、冬物の服ってどこにしまったっけ? パティたちが寒いって」

最近ミナには後輩が出来た。彼女の名前はアリシア。後輩とは言っても、長年一つ屋根の下で暮らしてきた妹のような存在でもあった。皆が巣立っていく中、彼女はこの診療所に残る道を選んだのだ。

「えーと、離れの二階だったと思うけど。それと仕事中はミナ姉じゃなくて副院長」
「ありがとう、ちょっと探してみるね。副院長先生っ」

いたずらっぽく笑ってから離れへと向かうアリシアの背中を見送りながら、ミナはぽつりと呟いた。

「先生、かぁ……」

思えば遠くに来たものだ。ここを初めて訪れた時のことは今でもはっきりと覚えている。訪れた、というよりは担ぎ込まれたと言った方が正しいのかもしれないが、ともかく当初のミナは自分がここに住み込むことになるとは予想だにしていなかった。
こんなことを言うとヘレナは決まって「大袈裟よ」と嫌がるのだが、血と硝煙の臭いしか知らなかった自分を救ってくれたのはヘレナなのだ。ミナは生涯をかけてその大恩を返していくつもりだった。

「わんねーちゃん、ごはんまだー?」

またも自分を呼ぶ声がした。まるで遠慮のないそのあだ名も、今のミナにはむしろ面映く感じられた。頭頂部に生えた半獣の証、大きな獣様の耳をぴょこんと動かしてミナは応えた。

「もうそろそろかな。他の子達も呼んできてくれる?」

ちょうどミナが副院長の立場に就いた頃から、先の戦の影響も有ってか診療所で孤児を引き取る機会が随分と増えた。これもヘレナの腕と人柄が有ってこそ為せる業なのだろうが、そこに自分が僅かでも力添え出来ているのであれば、この上なく誇らしいことだとミナは思っていた。
竈の火を止め一息ついたミナは、食卓の上に並んだ人数分の料理を眺めて少し綻んだ表情を見せた。血は繋がっていなくとも、こうして家族と呼べる人達がいる。自分には過ぎた事だとも思ったが、この何でもない日常が少しでも長く続いてくれればと、そう願わずにはいられなかった。

虹柳が葉を落とす頃、少し気の早い寒空には雪がちらつき始めていた。
ミナがいつものように治癒符の転写に勤しんでいると、何やら表の方が騒がしいことに気が付いた。基本的に、ミナは表立って外来の患者に対応することはしなかった。そう多くはないが、半獣の治療など受けられないと言う者が時たま現れるのだ。周辺の住民は良くしてくれているし、ヘレナも気にすることはないと言っているのだが、迷惑はかけられないということでミナは余程の急患でも来ない限り裏方を務めることにしていた。
それにしても今の騒ぎは一体何だったのだろうか。気を揉みながら聞き耳を立ててみたところ、どうも行き倒れの旅人が運び込まれてきたらしい。机の隅に置かれたハンチング帽を深めに被ってから表に出たミナは、その旅人らしき人物に肩を貸しながら歩くアリシアに声をかけた。

「ちょ、ちょっとその人……手伝おうか?」
「大丈夫だよ、特に怪我は無いみたいだし。ヘレナのところ連れて行くから」

見たところ確かにそれほど酷い状態ではないようだ。顔はよく見えないが、若い女性の旅人だった。だが何故か、ミナはその旅人に対して言い様のない胸騒ぎを覚えていた。根拠は無いのだが、自身に流れる獣の血に警告を促されているかのような感覚だった。そんなことを考えている間に、旅人を担いだアリシアはヘレナの居室と隣り合う治療室へと入っていった。考えすぎなのかもしれない。アリシアも仕事に慣れ始めてきているし、自分の出る幕ではないだろう。そう考えたミナは、残りの作業を済ませるべく部屋へと戻ることにした。

大方の作業を終えた頃、既に日は暮れかけていた。そろそろ夕飯の支度をしなければ。椅子から立ち上がったミナは、ふと先程の旅人のことを思い出した。そういえば、あれから誰も部屋から出てきた気配がない。それほど時間が掛かる筈はないし、何か有ったのだろうか。ミナの胸中に先程感じたのと同種の不安が顔をもたげた。ミナは帽子を被るのも忘れ早足で治療室へと向かい、そしてドアを開けた。

「………………え?」

血の海だった。壁も床も、天井に至るまでが血飛沫で埋め尽くされていた。血の出所と思しき肉塊は部屋の中心に転がっており、それに四つん這いでむしゃぶり付く人影は、ミナの目が狂ったのでなければ、

「アリ……シア……?」

掠れるような呟きに反応して四つん這いのまま振り返ったその人影は、確かにアリシアだった。きょとんとしたその顔は、どす黒い血糊でべっとりと塗れていた。

「なに……やってるの?」

アリシアは答えない。口元の血をぺろりと舐めとり、依然としてミナの方を眺めていた。その二つの瞳は本当にただこちらに向けられているだけで、まるでミナのことなど映っていないかのようだ。呼吸一つする度に鉄臭さが鼻を突き、尚意識が揺さぶられる。この惨状がアリシアによって為されたものだということは最早明白だ。だが、有り得ない。すがるような思いでミナは視線を泳がせた。そうだ、ヘレナは。ヘレナはどこに?

「…………っ!」

よく見慣れた柄のぼろ切れが、床に転がる肉塊に貼り付いていた。どれだけ理解することを拒もうと、しかしそれは間違いなくヘレナが身に付けていたものだった。

「な、んで……ヘレナ……」

吐き気がした。何故、どうして、一体何が。

「にくだ。あたらしいにく」

唐突にアリシアが口を開いた。酷く無機質な、それでいて悦楽を孕んだ声色だった。口元から肉片をぼとぼとと溢しながら、アリシアは続けた。

「にくっ……うっ、あ゛ぁっ、あ」

姿勢はそのままに、アリシアはぶるっと身体を震わせた。苦し気な呻きと共にのたくった眼球はすぐにぴたりと静止し、再びまじまじとミナの方を見据えた。

「……ふくいんちょう? 副いん長、ふく院長先せい、副院長」

アリシアはその言葉を、感触でも確かめるかのように何度も何度も繰り返した。

「副……あ、違った。ミナ姉。……えへへ、ミナねえ、ミナ姉」

初めて見せた表情は、蕩けきった笑顔だった。ミナはそれを眺めていた。ただただ眺めていた。

「ミナ姉、どうしたの? お腹痛いの?」

四つん這いを止め膝立ちになったアリシアは、今度はなんでもないような顔をしながらミナに語りかけた。それは普段の、恐らく一番多く目にしてきたアリシアの表情だった。

「ねぇミナ姉。聞いてるの?」

ミナはアリシアの膝元に目をやり確信した。血の海に紛れたのを差し引いても、あまりに暗く、黒過ぎる。自分はこいつを、こいつらを知っている。

「アリシアから離れろ、この……」

「影」だ。血の臭いで揺り起こされた幼い頃の記憶。戦地でのミナの記憶が、皮肉にも驚く程に思考を冷静なものとさせていた。「あれっ」と声を上げ、アリシアはあんぐり口を開けた。

「なんだぁ、分かるんだ。獣の癖に物知りなんだね、ミナ姉」

乗るな、挑発だ。意思の疎通が図れる「影」は、ミナ自身も初めて目にするところだった。それはつまり、アリシアを弄ぶあの「影」が経験豊富な個体であることを意味していた。

「そうだ、ミナ姉も一緒にヘレナ食べようよっ。すっごく美味しいんだよ!」

アリシアは後ろ手にヘレナの頭蓋と思しき部位を掻き回すと、指ごと口の中に運んで愛おしげにしゃぶり出した。

「これがまた絶品で……えへっ、えへへっ」

ミナはゆっくりと腰を落とし、持てる限りの膂力を両脚に滾らせた。聖職に就かない者が「影」に抗う術はただ一つ。憑かれた者を地面から引き剥がすことだけだ。アリシアを引っ捕まえて、そのまま一跳びの内に窓から外へ出ればいい。自分ならそれが出来る。忌むべき半獣の血も、たまには役に立つと言うものだ。

「おいし、美味しい。にく、にく美味ひいっ」

不意に夥しい量の鮮血がアリシアの手を伝った。脳髄を啜るだけでは飽き足らないというのか、彼女の指を包む筈の肉達は無惨にも噛み千切られ、先端からは白い骨が飛び出していた。雑な咀嚼の中で、受け止め切れなかった指先が床にぼとりと落ちた。小指と親指と、恐らく薬指。医術に携わる者として、と手入れされたアリシアの指は、かくもあっさりと失われた。それが合図だった。
床板が弾け飛んだのとほぼ同時、ミナは既にアリシアの眼前まで至り、その胸元を掴んでいた。思い切り跳んだことなど何年ぶりだか分からなかったが、何とか上手くいったようだ。ミナは一先ず安堵して、脇に抱えた筈のアリシアを見た。そう、抱えた筈だった。

「なっ……」

代わりにミナの目に入ったのは、関節を無視した方向に折れ曲がった己の腕だけだった。少し遅れ、抉るような痛みがミナの右腕を襲った。宙を舞うミナの眼前には窓際の薬棚が迫っていたが、姿勢を制御する余裕など有る筈もない。轟音と共に吹っ飛んだ薬棚がその中身を撒き散らす中、ミナは左腕を床に突いてなんとか体勢を立て直した。

「わ、すごいすごい。ミナ姉が本気で跳んでるの初めてみた!」

当のアリシアはというと、元いた辺りに立ったまま無邪気に拍手。皮一枚で垂れ下がった指を揺らし、血に湿った音をべちべちと鳴らしている。無事だった筈の指も何本か折れているようだが、恐らくあれでミナの腕を振り払ったのだろう。それもあの一瞬の間に、腕一本をへし折る程の力で。

「でも残念だったね。油断しちゃった?」

油断などしよう筈もない。アリシアの華奢な身体と言えど、「影」が扱えばどうなるか。この折られた腕が良い例だ。ついでにアリシアの指まで折れてしまったが、連中はそんなことなど気にしない。

「肝心なところで抜けてるんだから。ミナ姉って昔からそういうところ有るよねー」
「その娘の口で喋るなっ……」

何気無い声色の、いつも通りのアリシアの声。それを耳障りだと感じるのは初めてのことだった。彼女は単に「影」が弄ぶままにその動きをなぞらされているだけだ。だからこそ、ミナにはそれが許せなかった。瞬き一つですら腸が煮え繰り返る程に度し難かった。

「やだなぁ、恐い顔しないでよ」
「うるさいっ……!」

操り人形に成り下がったアリシアの姿など見たくはない。そんなことは百も承知だ。だが一方で、ミナの思考は極めて現実的に事態を受け入れつつあった。あの「影」の力量は明らかに自分の及ぶところではない。それに、下手を打てば自分はおろかアリシアにまで危害が及ぶ。どうすればいい。どうすれば……

「あ、おかえりー。遅いよもう」

ミナの回答を待たずして、アリシアは背後の何者かに声を掛けた。開け放しになったドア近くに立っていたのは、治療室に運び込まれた筈のあの旅人だった。全身に浴びせられた返り血は果たして誰のものなのか。脇に抱えた少女は誰なのか。何をするつもりなのか。考え得る限り最悪の事態だった。

「ミ、ミナ姉っ、アリシアっ……助けてっ……!」

少女が悲痛な叫び声を上げた。パティだ。子供達の中では年長者の部類に入る彼女がこれ程までに取り乱す姿を、ミナはこれまで見たことがなかった。彼女の身に、そして他の子供達に何が起こったのか、考えることすら憚られた。

「助けてっ……みんなが、こいつにっ!」
「こらパティ、あんまり騒がないの」

応えたのはアリシアだった。つまらない悪戯を嗜めるかのようなその返答は、確かにパティを黙らせるには充分だったらしい。

「ア、アリシア……?」

この状況を見て何故そんな反応が出来るのか。彼女がいつものアリシアではないということは、パティにも一目で分かったようだ。

「アリシア、なんで、それにその血――」
「お疲れさま。他の子達は?」

パティの訴えはまたも遮られ、代わりに旅人が「うんっ」と応えた。外見には不相応なたどたどしい口調で、嬉々としながら彼女は続けた。

「あのね、ちゃんとがまんしてね、にくたべずにもってきたっ。えらい? えらい?」
「うん、えらいえらい。……なるべく沢山連れて来てって言ったんだけど、まぁいいか」

アリシアは溜息を吐くと、ミナの方へと振り返り「ごめんね、この子バカだから」と付け加えた。この子と言いながら立てられた指先は、旅人でもパティでもなく床面に蠢く暗闇を差し示していた。
ミナは滲み出つつある狼狽の色を隠すことが出来なかった。「影」が同時に複数体現れたなどと記録局の人間が聞けば小躍りすることだろう。だが、事実として今目の前には二体の「影」がいる。その可能性を考慮しなかった自分の見通しが甘かったとしか言いようがなかった。

「じゃあ後は好きにしていいよ」
「うんっ、うんっ! わかった!」

「影」が大きくうねると、旅人はパティを放り出した後、ぎこちなく身体を震わせて涎を振り撒いた。次いで潮が引くかのように「影」が窓の外へと吸い込まれていったかと思えば、旅人は髪を振り乱しながらそれを後追いし、躊躇することなくガラス張りへと身を投げ出した。
けたたましい音と共に、一体の魔物が村に放たれた。ミナはしかし、動くことが出来なかった。後に残されたパティをまず助けなければならないからだ、と自分に言い聞かせた。パティを、そしてアリシアを救えるのは自分しかいないのだと。

「相変わらず下手だなぁ……さてと、それでどうするの?」

アリシアは含み笑いをしながらミナを見やった。実際のところ、ミナには最早打つ手が無かったのだ。複数の影を相手取ることこそ無くなったが、しかし出来ることと言えば、せいぜい歯を食い縛り、血が滲むまで拳を握り締めることぐらいだった。

「ほらパティ、泣かないで。ミナ姉がなんとかしてくれるって」
「やだっ、やめてよっ、やめてアリシアっ」

アリシアは骨が剥き出しになった方の掌でパティの頭を撫で、今度は唐突にたがが外れたかのようにげらげらと笑いだした。

「あはっ、あははは!」
「アリシアっ……」

パティは咽び泣くことも忘れ、愕然としながらアリシアを見ていた。事情を知らない彼女からすれば、その姿は狂気の沙汰にしか映らなかったことだろう。

「はぁ……ねえ、ミナ姉」
「痛っ……うぅ」

アリシアは笑うのを止め、残り少ない指でパティの右手を乱暴に掴んだ。ミナへの問い掛けは返答を期待してのものではないのだろう、パティの顔をまじまじと見つめたままアリシアは尚も続けた。

「なんでこの子を連れて来させたと思う?」
「ミナ姉、ミナ姉お願い、助けて……」

ミナは自分が犠牲になって済むのなら、幾らでもそうするつもりだった。だが、同じ手が何度も通用する相手とも思えない。己の不甲斐なさに身を裂かれそうな思いだった。

「助けっ……がっ!?」

パティの右手からぼきんという小気味の良い音が鳴った。

「あ゛ぁっ、痛いいだっひぎっ!」

間髪いれずにぼきん。ぼきん。

「あははっ、これでお揃いだねっ!」
「ひぃっ……ひぃっ……」

次に左手、というところで遂にミナは叫んだ。

「やめてっ!」

アリシアの手が止まった。作り笑顔も良いところの笑顔をミナに向け、続く言葉を待っているようだった。

「助けに来ないの? さっきみたいに」
「お願いだから、やめて……やめてください……」

ぼきん。その後捻りが加わり、骨ごと指が千切り取られた。お揃いの完成だ。

「ぎゃぁっ! あ、ううっ……っ!」
「ミナ姉助けてくれないんだって、パティ」

床に頭を擦り、涙を流して懇願するミナ。残された最後の手段は余りにもか細く、惰弱だった。

「お願いします……私はどうなってもいい、だから――」

ごきん、という一際重い響きと共に、パティの身体が崩れ落ちた。ぴったり真後ろを向かされたパティの目には、既に光は灯っていなかった。

「つまんない」
「あ、あ…………」
「なんで跳ばなかったの?」

言い返す言葉も無かった。跳べば助けられたかもしれない。駄目で元々、そうするべきだったのだ。だがもう遅い。パティは戻らない。パティだけではない。他の子供達も、村の皆も、そしてヘレナも。誰一人守れなかった。

「なんてね。そしたらまた追い払うだけだけど」

いや、まだだ。まだアリシアがいる。せめて彼女を助けることが、自分の最後の役目なのだ。ともすれば途切れそうな意識をなんとか繋ぎ止め、ミナはもう一度だけ跳ぶことを決めた。

「あ、やる気になった?」

今度は絶対に落とさない。例え腕を折られようと、アリシアを「影」から引き剥がす。そう腹を括ったミナだったが、次のアリシアの一言で早くもその覚悟は砕かれることとなった。

「よかった。その為にこんな田舎まで来たんだから」
「その……為?」
「ん?」

辺境の地に「影」が二体。確かに通常ならば到底考えられない事態だ。一体どの為だというのか。それは本当に動揺を誘うといった目的の発言ではなかったらしく、アリシアは心底意外そうな顔をして目をぱちくりさせた。その後合点が行ったという風に手を叩き、笑いながらアリシアは言った。

「あぁそうか。そうだよね、言ってなかったもんね。あははっ」
「な、何が……」
「ごめんごめん。ええと、私がなんでこの村に来たかっていうと」

アリシアはそこまで言うと、胸に手を当て「あ、私って言ってもこの肉じゃなくてね?」と付け加えた。咎める気にはならなかった。何か大きな思い違いをしているような、そんな胸騒ぎがした。

「私がここに来たのは、ミナ姉に会う為」

汗が頬を伝い、床に落ちた。何を言っているのか理解出来なかった。理解したくなかった。だからミナは「それは、どういう……」と、半ば答えを理解しながらも聞き返したのだった。アリシアは眉をひそめると、今度はおよそ彼女のものとは思えない程低い声で言い放った。

「お前の身体だよ、半獣」

何かが折れる音がした。腕の一本など物の数ではなかった筈だった。その覚悟の根本を為す何かが、今ミナの中で跡形もなく砕かれた。

「あの旅人に二人乗りでさぁ、大変だったよ」

再びいつもの声色で、まるでお喋りをするかの如くアリシアは続けた。良い住処をずっと探し続けていたこと。例えば半獣の身体は「影」にとっては理想的な物件だということ。そんな折、辺境で呑気に診療所を営んでいる半獣がいるという噂を耳にしたこと。最早ミナの耳にはその言葉は殆ど届いていなかったのだが、気分が乗ったらしいアリシアは浮き立った様子で気の済むまで語り尽くした。

「獣人はさ、硬くてダメなの。そこら辺半獣は……ってミナ姉、聞いてるの?」
「わ、私は……」

ヘレナに拾われてからここで過ごした日々は幸せそのものだった。自分にも人並みの生活を送ることが出来るのだと、ただそれだけのことが嬉しかった。診療所で人々の為に役立てていることが誇らしかった。時には蔑まれることも有ったが、それは自分が堪えれば済むだけの話だ。そう思っていた。

「そこまで落ち込むかなぁ。ほんと人間は良く分かんないっていうか……あ、半獣か」
「私はっ……」

その結果がこれだ。ヘレナも、子供達も、村人達も、皆死んだ。平穏な生活を送る筈だった彼らは、半獣が招いた魔物のお陰で惨たらしい最期を遂げる羽目になった。思い上がりも甚だしい。戦が産み出した汚らわしい雑種風情が、人と暮らそうなどという望みを持ったのがそもそもの間違いだったのだ。

「もう一回跳ぶところ、お手本見たかったんだけど……」

床に伏せたミナは、ただ呻き悔やんだ。返し切れない程の大恩を自分は仇で返した。あの世で詫びることすら、恐らく叶わないだろう。

「仕方ないか。困ったミナ姉だなぁ」

アリシアは少し困ったような顔をした後、身を屈めてミナに寄り添い、静かに耳元で囁いた。

「ねぇ、ミナ姉」

突然だった。焼けた鉄の棒を突っ込まれたかのような、耐え難い激痛がミナの手足に走った。反射的に身を捩らせようとしても、身体がぴくりとも動かない。声を出すことすらままならなかった。アリシアの身体が狂ったように痙攣し始めたのは、それとほぼ同時のことだった。

「そろそろっ、あ゛っ、ミナ姉の、にぐっ、身体っ……入っで、あ゛ぁっ、入ってい゛い? 」

眼だけを動かして下を見ると、アリシアの身体から延びた「影」が、今やミナの足元で黒々とのたくっていた。自分が自分でいられるのは、恐らくもう僅かの間だろう。それだけは本能で理解出来た。用済みとなったアリシアも無事では済むまい。せめて彼女は、彼女だけは守ってやりたかった。それをこの手で殺めることになるのか。ミナはそこで初めて、血に塗れた自らの運命を呪った。
残された時間で自分は何にすがれば良いのだろう。自分が「影」の傀儡と化す前に、アリシアが無事逃げ果せてくれれば良いのだが。土台無理な話に思えたが、祈ることと言えばそれしかない。微かな希望を強く願いながら、ミナは黒い黒い暗闇へと飲み込まれていった。

* * *

息が出来なかった。腹の底から込み上げてくる余りの血生臭さに、アリシアは堪らず嘔吐いた。

「うぅっ、お、おええぇっ!」

びちゃびちゃと床に落ちた吐瀉物は痛々しいまでに赤く、所々に肉片のようなものが紛れ込んでいた。呼吸は未だままならず、助けを呼ぶことも出来そうにない。意識が段々と鮮明になるに連れて両手の鈍痛がはっきりとその輪郭を象り始め、そこで初めてアリシアは自分の指が殆ど失われていることに気が付いた。

「ゆ、ゆびっ……なんでっ、おえぇっ!」

再び込み上げてきた吐き気に掌で口を押さえようとするも、指の無い掌では碌に受け止めることも出来ず、また床に赤が落ちた。泣き出しそうな気分だった。誰かいないのか。アリシアは周囲を見渡し、そしてその惨状を目の当たりにした。
治療室だということはすぐに分かった。だが、辺り一面の血の海と床に転がる肉塊は、勿論アリシアには何の心当たりも無いものだった。

「ヘ、ヘレナ……?」

皆の母親だったヘレナは、最早原型を留めていなかった。

「パティ……」

しっかり者のパティは、あらぬ方向に首を曲げて横たわっていた。

「なに、これ……なにこれ……」

これが現実だとは到底思えなかった。夢か何かであって欲しかった。だが確かに、おぼろげだが治療室に入ってきたような記憶は有る。旅人を担ぎ込んで、ヘレナを呼んで、それから……

「うぅ……う……」

後ろから誰かが呻く声がした。アリシアが振り返ると、そこには頭を抱えながらうずくまるミナの姿があった。

「ミナ姉っ!」
「う、あ゛っ……」
「ミナ姉っ、どうしたの、大丈夫!?」

ミナは返事をする代わりに、血走った目でぎろりとアリシアを睨んだ。思わずたじろいでしまったが、ただ事ではない。応急用の治癒符が薬棚の中に有る筈だ。急がなくては。

「ごめんミナ姉、ちょっと待ってて」

野盗でも押し入ったのだろうか。窓際にあった筈の薬棚は真っ二つに砕かれていたが、お陰で目的の治癒符をいち早く見つけることが出来た。指の痛みも忘れ、その内数枚を引っ掴んだアリシアは、急いでミナのところへ駆け戻ろうとした。

「あ゛っ……あ、にく……」

しかしミナは既に立ち上がり、アリシアのすぐ後ろにまで迫っていた。一瞬安堵したアリシアだったが、すぐに様子がおかしいことに気が付き後退りした。いつものミナではない。顔を歪にひくつかせ、涎を垂らしながら歩み寄る姿はまるで獣のようだ。ミナに対してその手の侮辱をする輩を、アリシアは何よりも嫌っていた。だが今のミナは、実際にそうとしか形容出来ない空気を纏っていた。
理由は分からないが、しかしこんな状態のミナを放っておくことなどアリシアには出来なかった。マニト病か、餓鬆症か、或いは亜人混血特有の症状か。覚え立ての知識を必死に総動員しながら、アリシアはミナを救う手立てを模索した。

「ああ゛あ゛あ゛っ!」
「ひっ……!」

頭を掻きむしりながら絶叫するミナ。思わず尻込みしたアリシアの身体は、次の瞬間には床に叩き付けられていた。

「い、痛いっ……ミナ姉、やめ……」
「にぐっ……にく……」

凄まじいまでの力で腕を捕まれ、身動きを取ることが出来なかった。アリシアは身震いした。ミナの怪力はアリシアにとっても周知の事だったが、それを自分に対して奮ったことは一度としてなかったのだ。ミナはアリシアの上にのし掛かり、それ以上は何をするでもなく時折びくびくと身体を痙攣させている。視線は上向き、殆ど白目の状態だ。

「う゛っ……うぅっ……」

腕に込められた力が若干弱まったかと思うと、ミナはもう一度だけびくんと身体を震わせた。それがアリシアが見た最期のミナの姿だった。

「……ミナ姉?」

アリシアはミナの目の奥に蠢く、黒い黒い暗闇を見た。これはもうミナではない。言われずとも、そう直感できた。

「……大丈夫、痛くないから」

言葉とは裏腹に歪み切ったミナの口端。そこから垂れ落ちた涎が、ぽつぽつとアリシアの服に染みを作った。自分もヘレナたちの後を追うことになるのだろうか。だが、どうすることもできない。恐らくミナの望まぬままに振るわれるであろう凶刃を、アリシアは最早受け入れる外なかった。

「あれ、もうすんだの」

唐突にそんな声がして、ミナの動きが止まった。聞き覚えのない声だった。掴んだ腕を離さぬまま、ミナは興を削がれたといった顔で肩越しに振り返った。釣られるようにアリシアが顔を起こすと、あの旅人が血塗れの姿で立っていた。全身に鎌やら鋤やらの農具を突き立てられ、何故生きているのかが不思議な程だ。

「……あなたが遅かっただけだと思うけど」

不満げな色でミナは言った。聞こえているのかいないのか、旅人は呆けた顔をしたままだ。

「このにく、もうだめ。ふたりり……ふたり、のり? していい?」

舌足らずなその提案に、ミナは渋面を崩さずに応えた。

「ダメに決まってるでしょ」
「うぅー……」

アリシアは困惑していた。年相応とはとても思えない旅人の発言もそうだが、何故彼女とミナがそんなやり取りをしているのか、何から何まで理解出来なかった。
次の瞬間、二人が揃って自分の方を見た時、アリシアは底冷えするような感覚を覚えた。ちょうど良いものを見つけたとでも言いたげな、僅かの感傷も込められていない視線が自分に向けられている。何をするつもりなのかは分からない。考えたくもない。先程死を覚悟した時のそれが可愛く思える程の、酷く根源的な恐怖だった。

「ひっ……なに、嫌っ、ミナ姉たすけ――」

* * *

その峠はちょうど包蜜草の群生域に位置していた為、行商人達の間ではそこで旅の疲れを癒すことが通例となっていた。時期によってはちょっとした市場の様相を呈する事もあり、一連の山道の中でも人足が途絶えることのない賑やかな場所として知られていた。
しかしそれもほんの昨日までの話で、今は聞き耳を立ててみても人の声一つせず、山風の音がびゅうびゅうと寂しく鳴り響くばかりであった。蜜の香りの代わりに立ち込めたむせ返るような死臭の中、依然として動く人影が二つ。ハンチング帽を被った呆れ顔の女と、両腕に包帯を巻いた少女だった。

「いい加減取り替えたら? 不便でしょ、その肉」

帽子の女は溜息をつきながらそう言った。傍らの少女は目の前のご馳走に夢中なのか、口の動きだけで器用にあばら骨を取り分けつつ、「んー」と気のない返事を返した。帽子の女は再び溜息をつくと、観念した様子で雑極まりないその食事が終わるのを待つことにしたようだった。
ご馳走が綺麗に平らげられた頃には、少女の顔は隅から隅まで真っ赤になっていた。申し訳程度に包帯で口元だけを拭った少女は、大きなげっぷでごちそうさまの合図をした。帽子の女は露骨に顔をしかめ、改めて少女にくどくど言った。

「良さそうなの沢山有ったのに、全部食べちゃうし……」

振り返った少女は気にする様子もなく、真っ赤な顔をにへらとさせてこう返すのだった。

「あのね、ありしあはみなねえのことがだいすきなの! だから、ずっとついていくの!」

それを聞いた帽子の女は「悪趣味ねぇ」と毒突きながらも、その顔を少し綻ばせて見せた。彼女が何故笑ったのか、それは誰にも分からない。傍らの少女にも、そして恐らく本人でさえも。
帽子の女は後は何も言わずに踵を返すと、麓への道を進み出した。少女は「まってよ、みなねえ!」と包帯を巻いた腕をぶんぶん振り回し、抗議の意を示しながらそれを追い掛けた。二人の足元にはそれぞれ黒い影が一つずつ、いつもと変わらない黒い暗闇をゆらゆらと揺蕩わせていた。

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コメント

妹分な少女が次々と身内を手にかけていくのを見せつけられる……ふと目を離しただけで、あどけなかったあの娘はもう帰ってこなくて、たとえこの場を切り抜けても失ったものが大きすぎて二度と幸せにはなれない……。
アーイイ……凄くイイ……。

おかげで昨夜は殺人鬼に憑依されたシスターが近所の子供たちを殺戮する妄想が捗りました。

Re: タイトルなし

>nekomeさん
有り難うございます…有り難うございます…。
あんなに幸せだったのに自らの手でそれをぶち壊させられる女の子、良いですよね。そこら辺をええ感じに描けていたのならなによりです。まあでも二人は今でも仲良くやってるみたいだし良いんじゃないでしょうか(適当)

>殺人鬼に憑依されたシスターが近所の子供たちを殺戮
良い…字面だけで致せそう…。影3もそんなお話に出来れば良いなぁ

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ぽぜおくん

Author:ぽぜおくん
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